暦法には太陽暦法(新暦)と太陰暦(旧暦)の二種がある。
  太陽暦法(新暦)は太陽の運行を基準として組み立てられたもので古代エジプト、ペルシャ、ローマを経て殆ど全世界で採用されていますが、現行のものは十六世紀に制定されたグレゴリオ暦です。
  昼夜の別は太陽によって生じ、四季寒暖の差も太陽にその源を発することは言うまでもありません。この寒暖の周期は太陽が天の赤道を通り過ぎてから、再び天の赤道に戻ってくるまでの周期と等しくなる。この周期は三百六十五日五時間四十八分四十六秒で、これを太陽年という。私たちの生活に於ける時間の単位となるのはこの一年である。
  そこで一年を三百六十五日とすれば、五時間余りの差が生じ、四年後には約一日遅く、赤道へ戻ることになる、そこで一年の長さを寒暑の周期と一致させるために、四年毎に一日余分の日を挿入する。これが閏日(二月二十九日)で、その年を閏年といいます。


以前太陰暦などでは日付が太陽の位置と無関係なため季節と月日とが一致せず不便であった。そこでこれを補うため中国では一年中の季節を知る便法ととして地球から見て太陽の通る黄道を二十四等分したのが二十四節気である。一節気は、さらに三候に区分され、五日を一候と呼んだ。
  春分は太陽が天の赤道上に来たときを基点にして、夏至は太陽が天の赤道上より最も北に離れた時、秋分は再び赤道上に戻り、冬至は最も南に離れたときである、それで、春分、秋分は、昼と夜とが等しく夏至は昼間が最も長く、冬至は昼間が最も短い。


今から4、5千年前の古代中国において「陰陽説」と「五行説」という二つの思想が流行しました。

陰陽説とは、宇宙に存在する森羅万象のすべては「陰」と「陽」の相反する二つの気によって成り立ち、この二気の働きによって、自分たちの身の周りに起こる様々な事象を理解しようとするものです。

つまり自然界は、陰と陽の二気が互いに離合集散することでその秩序が保たれており、引いては人間の営みも自然界の変化に順応することで秩序が保たれるのだと考えたのです。

この論理的かつ明快な思想は、当時の中国においては最新科学であったといってもいいでしょう。

また五行説とは、陰陽家の一人が唱えた学説で、中国の各王朝を「木」「火」「土」「金」「水」の五つの要素になぞらえ、その変遷を表現したのが始まりとされています。

その後、地球上のすべてはこの五つの要素(五行)によって形成され、自然界や人間界の様々な現象は、木・火・土・金・水の盛衰により影響されるという考え方へ発展していきました。

そしてこの「五行説」と「陰陽説」が結びつくことで「陰陽五行思想」が誕生するのです。

陰陽五行思想とは、当時の人々にとってその生活に多大な影響を与えていた季節の移り変わりを説明するのに用いられました。
一年を周期として陰と陽が交互に盛衰する中で、木・火・土・金・水の五気が発生し、四季が生まれるという考え方です。
これはやがて暦と結びつくことになり、安や仏滅、立春や土用など今でもわたしたちの生活と密接に関わっています。

すべてを「陰」と「陽」に区分するこの考え方は、わたしたちが使っているコンピュータに用いられている二進法と同じで、非常に合理的な考え方であるともいえます。

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